悩めるばばぁのもやもや日記

もやもやした日々、どうしましょう

Gが逃げる

 

 

ちょうど、今の季節に

Gは東京で収監されました。

 

この後、色々な問題が発覚したのです。

 

収監され、初めて東京拘置所に面会に訪れたのは

まもなくの事でした。

収監中の心のケアをしてくださる

弁護士さんと一緒に東京拘置所へ行きました。

弁護士さんから、優しく丁重に行き方を教えていただき

東京拘置所に着いたのは

お昼を回っておりました。

午後からの面談のため

先生と一緒に近くのお店でランチを済ませました。

 

面会の手続きを済ませて

一般の方は番号が表示されるまで

フロアーで待機して待つのですが

弁護士の先生と一緒でしたので

弁護士控室で待つことができました。

持ち物チェックもあるのですが

先生はノーチェックで中に通されます。

私は探知機の中を通過。

 

ミラブルゼロ正規代理店

長〜い廊下

まるで迷路のようです。

面会の順番になり、エレベーターで上階へ

部屋に入り座って待つと

看守の方と一緒にGが現れました。

 

通常は15分面会時間があるのですが

拘置所では10分とか

短い時間で打ち切られてしまいます。

 

また、面会時に運動の時間などに重なると

面会が待たされてしまいます。

 

この日は弁護士の先生と東京駅まで戻り

お礼を言って別れ、私は家路に着きました。

 

収監されて直ぐは面会回数が少なく

こちらからの手紙はいくつ出しても

受け入れが大丈夫なのですが

中からの手紙は決められた回数のみの発信です。

 

 

面会を終えた数日後、初めての手紙を受け取りました。

枚数も決められており、当時は82円で届く枚数

便箋7枚まででした。

 

私は収監されてから1日に何通も書き投函していました。

先生から速達で出すと早く手元に届くと教えていただき、経済的に許す限り

速達で投函していました。

 

差し入れに関してもいろいろ決まりがありました。

暮れも押し迫った頃

AがGに会わせろと

口調も荒々しくなってきました。

収監に先立ち、Gは本当の事を Aに告げず仕舞いでした。

病気で施設に入るような事だったと思います。

(当時の事を思い出したくなく、記憶が少し曖昧になっています。)

 

「警察に相談に行った」

「何処にいるんだ」

Gに Aに本当の事を話して良いか尋ねたのですが

返事が中々届きません。

Aからの尋問に心が折れかけた頃

話をしないでくれと。

Gからの返事に

どうする事も私は出来ませんでした。

 

Aからのバッシングは続きました。

このまま何も教えないと大変な事になる

Gは何処へ行った

私を訴えることになる。

 

私を?

意味がわかりませんでした。

 

 

 

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